地味で地道なはてなブログ

ダイアリー「地味で地道な」から引っ越しました。

星なしで、ラブレターを

を、ちまちまと読む。

『君が僕を知ってる』という曲がある。
彼女がなにもかも知ってるから、自分は誰に誤解されても平気だ、という詞。
彼女は一体、どんなことを知ってるのだろう。
彼は、彼女がなにを知っていると解っているのだろう。
すごくすごくそれが知りたい。
(「長所」p.40)

ああ、
私にはそのひとがいる。

や、もう長いこと会っていないから、そんなふうには分かり合えなくなっているかもしれない。

それに、誤解はやっぱりつらい。

それでも、
とほうもなくつらいことがあったとき、

ああ、あのひとだったらこんなときどうするだろうと。

ぽかりと頭をたたいて、
しょーがないやつだ、
ばかなやつだという顔をするだろう。

でも、どうしてそんなばかをやるか、
多分そのひとにはわかる。

そう思うだけで、
とても救われた気がしたものだ。


金庸の小説にはよく「知己」といういいかたが出てくる。

たんに「知り合い」という意味ではなく、
「われを知る者」
「私をとてもよくわかってくれている人」という意味らしい。

現代中国語でそういう言い回しがあるのだろうか。

まさに「知己」がこれにあたるのだろうな、
と思う。

「なにもかも知ってる」知己。

そのひとがいるから。