地味で地道なはてなブログ

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世界史年表


高校時代一番好きだったのは世界史。


世界史の授業が始まったばかりの2年生のころ、学年の文系首席のひとが図書館で勉強しているのをみかけた。
そのひとは、世界史のノートをもとにして年表を書き出していた。


ああ、そうすれば流れがわかりやすくなるのかー。


と、まずそれをそのまままねして。


私が受けていた世界史の授業は、先生がちょっと変わっていて、
教科書は一切使わず、内容をすべて黒板に書き出す。
板書はかなりの量にのぼり、しかも字が小さく読みづらく。


その内容をすべてノートに書き出すことはできたのだが、
書き写せなかった友達に、ノートを貸してと頼まれると、悪筆すぎて貸し出せない。


なのでいつも、それを一度清書した。


それをやると「入り」がひじょうによかったので、


清書→年表作成


を行った。


これが進んで、各国の歴史が同時に連係してくると、地域ごとの年表を書き出して、横にはりあわせることになる。


清書→年表作成(各国ごと)→年表をはりあわせて、時系列で連係


はりあわせるころには、もう相当な回数、内容を読んでいるので、かなりの量を覚えている。


最終的には、年表をみないで内容を全部思い出せるところまでいった。
それは、文字としてではなく、自分が書いた年表を自分の頭の中で思い出すとか、その内容の回の授業の模様を映像として思い出すとか、そういった映像記憶に多くを依存した方法だった。


これらを「苦痛なこと」としてやったら、拷問としてはかなりの責め苦になるだろうが、
「大好き」だったので、ものすごく大きなクロスワードパズルをやっているような感覚で、毎回毎回とても楽しんでやっていた。


厳密には私は「丸暗記」をしていたわけではないと思う。
なぜならばいわゆる「語呂合わせ」の類がぜんぜん覚えられなかったからだ。


意味によって紐ついていない言葉の羅列を、ぜんぜん関係ない文脈で思い出すために覚えるということは、それこそものすごい苦痛を伴うことだった。


関連性のある文脈でならおぼえられる。


関連性をどこで見出すか。
たいていは教科書には書いてあるし、授業でも習うし、参考書にも書いてある。


「何回も読む(見る)こと」
「映像記憶の想起をしやすくすること」
「関連性を見出すこと」
「連係する記憶同士にインデックスをはる」


そういった手法をかなり使っていたと思う。