地味で地道なはてなブログ

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勉強法を思い出す

「勉強法」カテゴリを追加した。


受験勉強については毀誉褒貶はなはだしいが、
iKnow!をやってて思うのは、
けっこういろいろ覚えているもんだなーと。
内容によっては、その単語や用例が載っていた、教科書のそのページを思い出すことすらできる。


うむ、そんなに敵視するほど悪くはなかったんじゃないだろうかと。

たまたま先生に恵まれたとか、単純に勉強が好きだからとか、いろいろあるけど。


「勉強ができる」というのは、感覚として、足が速いとか家を建てられるとかのさまざまなスキルのひとつという感じがしていて。
それは宮部みゆきamazon:龍は眠るのあとがきなどで言及していることでもあるのだけど。

そしてそのスキルは、いまのところ、ひじょうに役に立っている。
OSを、言語を、なによりも業務をすぐ覚えてシステム組んだり直したりするには、とにかく片っ端から頭に入れて覚えていくしかない。

厳密には私は「丸暗記」はまったくの苦手で、意味があって関連づけられたものでないとぜんぜん覚えられない、ということがだんだんわかってきたのだけど。


じゃあ、そのスキルについて、まとめてみようかなと。


覚えている限りで、いままでやってきたさまざまなことをまとめとこうか。
自分がやって効率よく成功した方法が、一番自分には向いている方法に違いないから。
もっと効率よくできる方法をみたらどんどんやってみるけども、
自分がやってきたものをまとめとくのも意味あることだ。

自分自身の「枯れたシステム」を大いに利用しよう、と。


それには自分自身の事情や心情なども、いくつか関係している。

  • 私の記憶のしかたは、ほかの一般的なひととは違うらしい

教科書のページが思い出せる
→映像的記憶(ページの映像)を左脳の機能(言語、しかも外国語)で検索かけて引き出すことができる
→右脳と左脳の機能を使ったそれぞれの記憶が、インデックスをはられて連係しているらしい

映像記憶は誰にでもある能力だ。

ただ、それに極端に頼って生きているひとというのは、自覚がないので、他のひとも同じ記憶のしかたをしていると思っている。


たとえば、本の内容について話していて、
「〜って、xxだよね」「なんで覚えてるの?」
「ここに書いてあるから」と、中空を指差すと、やばいひとと思われるのだけど、
私にはその本のページが、リアルの視覚とは違うところで「思い出して」みることができる。
たいてい、頭のななめ上とかおでこの前でみえているイメージだ。


これがあまり一般的ではないと気づいたのは、たしか、大学を出たあとだったと思う。


もっと強烈にこの能力が強いひとは、ページ数まで言える。
知り合いに何人か、これと同じことができるひとがいて、
そのうちのひとりはそれこそ「ページ数」までいえるし、言及した行の次の行も読める。


私はそこまではできない。
だが、映像と言語化された内容を連係させてそれを覚えているらしい、ということは想像できる。


あんがい、これは普通に行われていることだ。


プログラマの多くは自分が書いたソースコードを思い出すことができる。
寝る前に「あー、あの行のこの処理が今日のはまりの原因だったんだ」とか、回想したりできる。
(その気づきの多くは眠りとともに失われるが)


将棋をやってるひとは棋譜を思い出すことができるという。
プロともなればすさまじい数が頭に入っているそうだ。


それらは、たんなる映像としてとりこまれているだけだったら、ひっぱってきて内容を検討することはできない。
映像に対する、なんらかの意味づけがなされているはずだ。


この連係をつくっているのは、学習のどこのプロセスなのか。
確実に、そこで映像化を行っている過程、映像記憶と言語的記憶を連係させている過程があるはずだ。


いままではそれを無意識にやってきた。
しかしその過程を意識して抽出したら、効率がひじょうによくなるはずだ。


なにせ突貫工事みたくさまざまな案件にかたっぱしからあたっていくようなこの仕事の場合、
これができるとひじょうに便利。

  • ほかのひとほど私は勉強が嫌いではない、むしろとても好き


だが、「勉強ができればいいってもんじゃない」→「勉強ができるやつは悪いやつだ」という強固なすりかえがどこかで行われているらしい。
本来怒るべき、憎むべき対象のすりかえも。


そのため、いままで数々のさんざんな目にあってきた。
それこそ「ネガティブな言葉のシャワー」を浴び続けてきた。


だが、私自身のイメージでは、「勉強」=「好きなこと」に基づいているスキルだから、そこの感情にはネガティブなものが入り込む余地がまったくない。


新しいことを覚えなくてはならなくなったとき、まずやることは、
「自分はどうやってこの対象に興味を抱くか」を検討すること。
言い換えれば「自分はどうやってこの対象を好きになるか」ということだ。


どこにどう興味をいだき、足がかりをつくるか、ということを最初にすごく意識してきた。


ということをいままで意識しないできていたわけな。
いま気づいたわけだから。


多分、私のやりかたは、ポイントとしてはその2点。
「映像記憶と言語的記憶のインデックスはり」
「興味を抱く、好きになる方法」


それらをいままでどう実行してきたのかを、地道に思い出して、書き出してみたら、
もっとさまざまなことに気づけるのではないかと思う。