地味で地道なはてなブログ

ダイアリー「地味で地道な」から引っ越しました。

生まれつきのステータス異常

長くなったし、ハイクがなくなるので覚え書き。

某ヤンデル先生が読んだというので、中井久夫の『治療文化論』を読んでみた。
ベースとして比較対象とされているのが、今の精神医学よりはかなり古い現状(90年代初頭の著書)だったのだが、「診断のグローバル化対土地の文化での『診断』と『治療』」という対極としてみると、今の「発達障害」への扱いもだいぶん変わって見えてくる。
もともとは、DSMやICDによる「疾病診断の国際標準化」が行われたことが発端となっているのだが、そうだよね、地域性とか国民性とかあるから、文化の面を無視することはできないよな。
日本は、精神病院=隔離・収容施設として機能してきた過去と、その前の座敷牢という旧弊から、精神病に対して非常に強い反発が今もある。
うちの母にもそれで一度殺されかけたし。
発達障害」は、あまりにも含まれる対象が広いものだから、反対論者は「こんなんじゃ誰でも対象になるじゃないか!」と暴れるのだが、本当のところは「自分はそんな精神障害なんかじゃない!」という、精神障害に対する恐怖心からそういう反応になっているようにも見える。これは他のもっと一般的な精神障害にも言える。
発達障害は、何回でも繰り返すが、じきに名前が変わって、色弱とかと同じような、「対象がすごく多いから、『障害』扱いして偏見持ってたらきりがないレベルのものだよ」という扱いになると思う。実際、現在の定義上はそうで、「発達障害」という言葉が不適切なのと、NHKが認識不足のまま「啓蒙」を行ったために、更に混乱が生じている。
よく「アメリカでは」と、こういうときにアメリカが比較対象にあげられるが、イギリスではどうだろうか。多分違いがあると思う。
自閉スペクトラム症の作家、東田直樹は、イギリスの作家と交流があって、その模様がNHKでも特集されたが、あちらでは、アメリカでのとらえられかたとは違いがあるように感じた。
NHKは、あっちをもっと集中的に取り上げれば良かったのに。「発達障害」は、今は本当にたんなるバズワードなんだなと思った。
by ナランハ@蟹ペン族 2018/12/12 20:34:57

治療文化論での捉え方からいうと、日本の場合は「発達障害」に含まれる昔の呼称が、やっぱり多過ぎる。
ADHDASDをまとめちゃったのも、更に混乱を招いてるかも。

私はADHDの「注意欠陥」の特徴が強く、また、幼少期には奇妙な癖(例えば、学校の休み時間で廊下で逆立ちする習慣があった。何故やっていたか、今の私にはわからない)や、行動や物事への強い拘りがあって、ASDとの混合型の発達障害なのだけども、「あなたは食べ物ではチーズが大嫌いで、かつ、エディタはサクラエディタをお使いですね」と言われてるようなもんで、本来「先天的な脳の器質的障害」であるという以外、両者に関連性はない。

片方の症状がもう片方の症状を助長したり、別の二次障害(私の場合はうつ病)を引き起こしたりはするが、「発達障害」と呼ばれる「ステータス異常」は、中身が、例えばコンフュとバーサクとポイズンの軽いのが混ざったやつだったりして、それぞれそのステータス異常の中身や割合が違って、場合によっては生まれもっての高い能力をあらわしたりはするが、あまりその言葉がちゃんとなにがしかをあらわしたりはできていないと思う。

「生まれつきのステータス異常(ランダム)」なんて、ほんとに何でもありだ。

早く、「発達障害」という用語の表記が見直されて、もう少し真っ当な啓蒙が行われることを望んでいる。